わたしを束ねないで
新川和江
わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂(いなほ)
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や . (ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
―詩集『比喩でなく』
新川和江(しんかわ かずえ )
1929年生まれ
茨城県出身。詩人。
新川和江さんの詩や言葉について、何かを言うことは、私にはできないような気がします。
大好きな画家の美しい絵画の上に、自分の絵の具を塗り付けることが、私にはできないように。
いいえ、賢治さん、朔太郎さん、中也さん、実篤さん、重吉さん……それ以外にも、私の大好きな詩人さんは、たくさんいます。
でも、新川和江さんは、なんだか特別なんですよ。その詩にはじめて出会ったとき以来。新川和江さんの言葉が連れてくる、不思議な親近感と安心感に包まれて以来。ずっとですね。
だから、今夜も、にっこりほほえんで、この詩を見つめるだけにします。そして、願うだけにします。
あなた様にも、どうか、この詩が愛されますように。