塾長の雑記帳

八木重吉さんの「詩」と「祈り」にふれる

折り鶴

重吉さんとの再会

泣いている秋の虫

八木重吉

 

虫が鳴いている

いま ないておかなければ

もう駄目だというふうに鳴いている

しぜんと

涙がさそわれる

詩集『貧しき信徒』より

 

※ 八木重吉(やぎ じゅうきち)

明治31年(1898)ー昭和2年(1927)

日本の詩人。英語教員。29才没

 

私の仕事は塾で授業をすることです。ここ数年、私はおもに高校生を対象に大学受験英語の個別指導を行ってきました。

ところが先日、本当に久しぶりに中学1年生の国語の授業をしました。うれしかったですね。

 

授業準備のために、わくわくして塾のテキストに目を通していると、八木重吉さんの「虫」という詩と、思いがけず再会してしまいました。

というわけで、さらにうれしくて、これを書いている訳です。はい。

 

さて、冒頭に掲げた重吉さんの「虫」という詩ですが、このテキストに書かれた解説を読んでみると、これが簡潔にまとまっていて、なかなかわかりやすい。

ちょっと引用してみます。

秋の夜、虫の声を耳にして、それを「いま ないておかなければ……」という、せっぱつまった、真剣な命の声と聞く、この深い感じ方が、「虫が鳴いている」という単純な事実を感動的なものにしているのです。

 

作者の八木重吉は、結核のため、わずか30歳で世を去りました。

この詩には、自身の短命を予感した作者の痛ましい実感もこもっています。

『Keyワーク国語1年 東書』P 17より

 

この説明はきっと、生徒さんにわかりやすいだろうなぁ、と思いました。

でも、それに加えて、次のように、もう少し補足したいと思いました。

 

この詩の中の「虫が鳴く」とは、「詩をうたう」という意味でもある。やはり、そのように読むべきでしょうね。

 

そしてこの、秋の「虫」は、重吉さん自身のことをも表している、と考えていいと思います。

 

というよりも、重吉さんは、虫のことではなく、むしろ自分のことをうたっているような気がしてならないのです。

 

たしかに、秋の虫は鳴いていたのでしょう。でも、重吉さんは虫の鳴き声を耳にしたときに、短命な虫と、そのときの自分の姿を重ね合わせてしまった。

 

「死期がせまっている自分には時間がない、いま自分の思いを、ことばに、詩にしておかなければ……」という切迫感が、この詩からは、痛いほど伝わってくるような気がするのです。

 

そんな境涯の重吉さんであるからこそ、虫の鳴く声が、そんなにも、せつなく聞こえてしまったのでしょう。

 

……というようなことを思いつつ、あとは、生徒さんに、どのくらい重吉さんの生涯について話してあげようか、と考えました。

 

祈りが詩のかたちになる

 

重吉さんには、奥さんと、ふたりの子どもさんがいました。重吉さんはもちろん、どこの世界のお父さんにも負けないくらい、家族を愛していました。

その気持ちは、たとえば次のような詩に表れています。詩中の「桃子」とは、重吉さんの娘さんのお名前です。

 

人形

ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた

(詩集『貧しき信徒』より)

 

 

こどもが病む

こどもが せきをする
このせきなおそうとおもうだけになる
じぶんの顔が
おおきな顔になったような気がして
こどもの上におおいかぶさろうとする

(詩集『貧しき信徒』より)

 

重吉さんは、このような心の持ち主です。

それゆえ、結核を患ってからは、病気と闘いながら、家族の将来のことを心配する気持ちが、重吉さんの詩の中に織り込まれてしまうのです。

もうそれは「詩」というよりも、苦しい苦しい独白を経たのちの、彼の心からの「祈り」であったのかもしれません。

以下に引用する作品は、重吉さんの詩集『貧しき信徒』の中に収められています。

白いバラ

 

桃子
とうちゃんはね
早くくなってお前と遊びたいよ

 

 

冬の夜

おおひどい風
もう子供は ねている
わたしは吸入器を組み立ててくれる妻のほうをみながら
ほんとに早くくなりたいと思った

 

 

病気

からだが悪いので
自分のまわりが
ぐるっと薄くなったようでたよりなく
桃子をそばへ呼んで話しをしていた

 

 

まして
自分のからだの弱いこと
妻のこと子供達の行末ゆくすえのことをかんがえ
ぼろぼろ涙が出てとまらなかった

 

 

この『貧しき信徒』という詩集は、重吉さんが結核と闘いながら編んだものです。

しかし重吉さんは、この詩集が世に出る前にこの世を去りました。29才。詩人として生きたのは、わずか5年ほどでした。

のちに、重吉さんのふたりのお子さんも、相次いで結核でお亡くなりになりました。

重吉さん、どうかゆっくりと

 

以後二十年間、奥さんは独りで、重吉さんの残した詩を守りつづけました。

そのような二十年の時を過ごしたのち、奥さんはよき理解者を得て再婚されます。

そして、このご夫婦は、重吉さんの没後二十年目の命日に、その遺作の詩を世に出されたのです。

 

最後に、重吉さんの詩をふたつ紹介します。

まず、その作品中、もっとも美しい詩のひとつである「素朴(そぼく)な琴」。

素朴な琴

この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美くしさに耐えかね

琴はしずかに鳴りいだすだろう

 

そして、私がいちばん好きな「雨」

雨のおとがきこえる

雨がふっていたのだ

あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう

雨があがるようにしずかに死んでゆこう

 

重吉さん、病気と闘いながら、必死に詩を残してくれてありがとう。

生徒さんにも、重吉さんのことを、たくさん話しましたよ。

どうかゆっくりと、おやすみください。

折り鶴の親子