塾長の雑記帳

「イグアナ」(ドリアン助川)― このチャーミングな詩を読むと、パラグラフ(あるいはエッセイ)の構造を思い出す

イグアナさん

「イグアナ」(ドリアン助川)という詩

 

イグアナ 

  ドリアン助川

 

イグアナはごっついで

何がごっついかと言いますと

まず顔がごっつい (顔)

そんでうろこがごっつい (うろこ)

加えて爪がごっつい (爪)

そんなごっついやつがぎょうさん群れとうんやから

なおさらごっつい (ごっついごっつい)

 

波がバーンと来るやろ (バーン)

そしたらイグアナの皆さんは

爪で岩にしがみつきよる (岩)

 

まあたいていはそのままや

そやけど太平洋の荒波やで (荒波)

百回に一回は大サービスで

ごっつい波がくるわけや (ああこわ)

さすがのイグアナもお手上げ

バーンのドドーンで

海に持っていかれるねん (ドーンのババーン)

 

こっからがすごいんやで (ほう)

普通はあわてるわな (そりゃそうや)

陸のもんが海にさらわれてんで

おぼれるんちゃうかと思うやん (アンラッキー)

そやけどやつらはちゃいまんねん (なにが)

発想の転換や

波にさらわれたんをええことに

そのまま海に潜って海藻を食べてるねん (ラッキー)

 

しっぽくねくね動かすやろ

両手両足胴体にぺきっと付けて

水の中でもちゃーんと目を開けとるんや

魚みたいにあっち行ったりこっち行ったり

ダルマカレイやマンタの子供が

(なんやこいつら? けったいやのう)

言うてぷくぷくしとるわ

そやけどイグアナは知らんぷりや

海藻をたーんと食べて波の間に顔を出す

カツオドリもアホウドリも驚くで

(けったいやのう)

 

ほんまは行きたくないねん

肺呼吸の生き物や (肺呼吸)

水の中は苦手なはずや (苦手)

そやけど波にさらわれへんと

飯も喰えへん飯も喰えへんがな (ありゃりゃ)

たぶんイグアナの皆さんは

一生懸命考えとるんやな

あの刺だらけのごっつい顔で (ごっついごっつい)

 

まだ腹減っとらんから恐いとこ行くんは堪忍や (堪忍や)

いや待ったれよ 今のうち恐いとこ行って

腹いっぱいになったら今日は寝たろうか (いっぱいのいっぱい)

 

飯を食うんが命がけ

そやからイグアナはごっついままや

ほんまは優しい生き物やのに

刺が生えて (刺が生えて)

うろこが生えて (うろこが生えて)

爪が生えて (爪が生えて)

イグアナはやっぱりごっついわ (ごっついごっつい)

イグアナはやっぱりごっついわ (ごっついごっつい)

イグアナはごっついんです

 

―『ドリアン魂』(ドリアン助川 著)小学館文庫より

 

イグアナの皆さん

イグアナの皆さん

 

私が好きな詩「イグアナ」について

 

形式 ― 結論で始まり、結論で終わる

 

この詩は、まさに「結論で始まり、結論で終わる」、そんな作品です。

一番言いたいことは結局、「イグアナはごっつい」という、この一文につきます。

これは、この詩の主題であり、冒頭と最終行でくりかえされます。

まるで、パラグラフ内で、主題となる文(トピック・センテンス)が、形を変えて冒頭と文末に現れるように。

そうです、この作品もまた、パラグラフと同じハンバーガー」構造をしていると言えます。

ハンバーガー

 

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……なんてことを、私は思ったりします。

それ はきっと、人が納得するような、あるいは人が心を動かすような、ものの書き方。

これはきっと、アリストテレスの時代から、ずっと変わらない。

そういうことなのかもしれません。

 

あるいは、私の妄想なのかもしれませんが(笑)。

 

内容(1) ― 詩人のまなざし

 

私は、ドリアン助川さんの詩が好きです。

なかでも、この「イグアナ」という詩が、大のお気に入りです。

詩を説明するなんてのは本来、野暮な話だと思います。

でもまあ、私は野暮で、わりとおせっかいな性分なので、「この詩いいよね、ここが」なんて、ついつい言ってしまいます。

 

さて、「イグアナ」ですが、この作品全体を通して、書き手の「まなざし」のやさしさが、たまらなくいいですね。

この「まなざし」は、詩中で終始「イグアナの皆さん」を映す、カメラのレンズです。

やさしいやさしいレンズです。

「イグアナの皆さん」の、「顔」や「うろこ」や「爪」や「刺」だけでなく、その内心まで映し出してしまいます。

それはきっと、手をふれたら、ほんのりとあたたかいレンズでしょう。

 

でも、ひょっとしたら、イグアナの皆さんの気持ちを人間が推し量っても、本人たちは「知らんがな」と言うかもしれません。

しかし、それはそれで、かまわないのです。

大切なのは詩人の「眼」と、詩を読む人の「眼」が、シンクロするかということですから。

詩を読むときの、詩人の言葉を追うときの、この気持ち……あなたにわかってもらえたら、私はうれしい。

 

内容(2)― 言葉が離陸する瞬間

 

かつて詩人の茨木のり子さんが、その名著『詩のこころを読む』の中で、こんなことをおっしゃっていました。

 

言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえません。

じりじりと滑走路をすべっただけでおしまい、

という詩でない詩が、この世にはなんと多いのでしょう。

 

『詩のこころを読む』茨木のり子著(岩波ジュニア新書)

 

「イグアナ」という詩は、冒頭から、じりじりと滑走路を走りつづけます。

それから、長い長い(しかし愉快な)滑走路の走行が続きます。

そして最終連の第三行目「ほんまは優しい生き物やのに」に至り、パッと離陸します。

私にはそう見えます。

「イグアナ」って、そういう詩じゃないかな…私はそんなふうに思っているのです。

 

結論

イグアナはごっついんです。