I was born
吉野弘
□確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
□或(あ)る夏の宵※1(よい)。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄※2(もや)の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。
□女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
□女はゆき過ぎた。
□少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解(りょうかい)した。僕は興奮して父に話しかけた。
―やっぱり I was born なんだね―
父は怪訝※3(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
□その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。
□父は無言で暫(しばら)く歩いた後 思いがけない話をした。
―蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為(ため)に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね―
□僕は父を見た。父は続けた。
―友人にその話をしたら 或(ある)日 これが蜉蝣(かげろう)の雌(めす)だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂(と)るに適しない。胃の腑(ふ)を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉(のど)もとまで こみあげているように見えるのだ。淋(さみ)しい 光りの粒々(つぶつぶ)だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯(うなず)いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。
□父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡(のうり)に灼(や)きついたものがあった。
―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しく ふさいでいた 白い僕の肉体―
詩集『消息』より
詩中の言葉について
※1 宵(よい)
日が暮れて間もないころ。
※2 靄(もや)
大気中に無数の微小な水滴が浮遊し、遠方がかすんで見える現象。
※3 怪訝(けげん)
不思議で納得のいかない様子。
蜉蝣(かげろう)
《飛ぶ姿が陽炎(かげろう)の立ちのぼるさまに似ているところからの名》
カゲロウ目の昆虫の総称。
体は繊細で、腹端に長い尾が2、3本ある。翅(はね)は透明で、幅の広い三角形。夏、水辺の近くの空中を浮かぶようにして群れ飛ぶ。
幼虫は川中の礫(れき)上や砂中に1~3年暮らす。
成虫は寿命が数時間から数日と短いため、はかないもののたとえにされる。
(デジタル大辞泉より引用)
吉野 弘(よしの ひろし)
1926年(大正15)―2014年(平成26)
山形県生まれ。日本の詩人。
散文詩について少しだけ
散文詩には、語数や行数に定型がなく、決まったリズムもありません。
また一般に、行分けもされず、いくつかの段落に分けて書かれることもあります。
「散文詩」といえば、日本ではまず…萩原朔太郎、そしてフランスの詩人ボードレールなどが有名だったりします。
たとえば、ボードレールの『巴里の憂鬱(パリのゆううつ)』なんて、なんとも、いや、実に……素敵です。
散文詩については、後日あらためて書きたいと思います。
「I was born」について
さて、ボードレールの話はおいといて、今回はまず、吉野弘さんのこの詩を、短い物語を読むように鑑賞していただけたら、よろしいと思います。
この詩は、戦後に書かれた詩(戦後詩)の中の傑作のひとつに数えられるものです。
私は「I was born」 をはじめて読んだとき、この詩の持つ、うつくしさと、せつなさが、自分の喉(のど)に一気に注ぎ込まれて、窒息しそうな錯覚に襲われました。
吉野弘さんの詩は、教科書に載るだけでなく、ミュージシャンの浜田省吾さんに愛されたことなども、よく知られています。
たとえば、浜田省吾さんの代表作である「悲しみは雪のように」は、吉野弘さんの詩にふれたことがきっかけで生まれた曲だそうです。
この詩については次のような素晴らしいコメントがあります。『戦後名詩選1』という本から引用してみますね。
少年の無垢な生の原理の発見と、蜉蝣(かげろう)の話から始まる死への予感との対比が「繰り返される生き死にの悲しみ」を鮮やかに定位させている。深い余韻を残す最終行の美しさも印象深い。
『戦後名詩選1』野村喜和夫・城戸朱里(編)(思潮社)
「生」と「死」の対比。
吉野弘さんの詩は、やさしく、うつくしいだけでなく、精緻な構造をも備えている。
うん、きっと、名詩とは、そういうものなのかもしれませんね。
そう、きっと、こんな言葉と出会うために、私は本を読むのです。