幻影
中原中也
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲(す)んでいて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。
ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思いをさせるばっかりでした。
手真似につれては、唇(くち)も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう ――
音はちっともしないのですし、
何を云(い)ってるのかは 分りませんでした。
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。
(注)一部を現代かなづかいで表記しています。
中原中也さん
中原中也(なかはら ちゅうや)
明治40年(1907)- 昭和12年(1937)
日本の詩人、歌人、翻訳家。30歳没。
「紗の服」と「月光」
「紗(しゃ)」の服って、手触りがよさそうですね。
薄くて軽い絹の織物でしょうから、これを着て動くと、さらさらというかすかな衣擦れの音とともに、なめらかな水の動きができるのかもしれません。
紗(しゃ、うすぎぬ、さ)とは綟り織で織られた、薄く透き通る絹織物。
横糸を1本ずつ取ったうえで、強撚糸の縦糸を2本ずつ絡ませて織り上げたもので、生糸で織り上げることが多い。 羅から発生したもので特殊な機を使う羅と違って通常の機で織ることができ、中国では唐末から宋代にかけて大流行した。 日本では平安時代ごろには夏の衣料として大いに用いられたが、天正年間に大陸から最新技術が再導入されて現在の形になった。
雅楽の装束や、夏物の着物などに使われる。
「紗」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年3月21日 (水) 08:07 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org
月光はさみしいスポットライトなのでしょうか。
音のない世界で、通じないパントマイムを繰り返す、やさしい目のピエロが、眼前に浮かび上がるようです。
中也の生涯を思えば、いや思わなくとも、いやまったく知らなくとも、泣いてしまう。そんな詩のような気がします。
この詩については、「中原中也はこの作品で、自らをピエロになぞらえて、詩人のイメージを語っている」というような解釈があります。
インターネット上で中也の「幻影」を検索すると、このような表現が複数の場所で使用されています。中也本人もそのつもりで、この詩を書いたのかもしれませんね。
でも、正直に言いますと、私はずっと違う解釈をしていました。そして今でもやはり、自分の解釈でこの詩を読んでいます。すみません、中也さん。
詩の原石という読み方
「あ、詩を思いついちゃったんですけど」
私はこう思うんですよ。
たぶん、ピエロは中也ではない、と。
すなわち、ピエロとはおそらく、予告もなく詩人のもとに訪れる「詩の原石」なのではないかな、と。
それはどういうことなのか、ちょっとだけ、自分の心の中から、引用してみます……
詩人が何かを、見たり聞いたり、思ったりしたとき、詩の到来を予感することがあるはずだ。
詩の到来の予感とは、何かを見たり聞いたり読んだりしたときに、「あっ、これは詩になる!」と思えるような、ひらめきを得ることだ。
たとえば、そう、それは稲妻のようなひらめきかもしれない。
(注)スマホの画面が割れたのではありません
そしてきっと、詩人は、そのひらめきを「かたち」すなわち、「詩」という作品にしようと待ち構えるのだろう。
それは一瞬のあいだの出来事かもしれないけれど。
しかし、人の心を動かす何かが、確かにそこにあり、もう少しで言葉にできそうだけれども、どうしてもうまく表現することができない。
詩人とはいえ、もしかしたら、そんなときがあるのかもしれない。
それはすなわち、かたちのない詩、すなわち、「詩の原石」(あるいは、ひらめき = インスピレーション)が、言葉で表現される詩のかたちに結晶しない、ということなのだろう。
そこで、かたちになる前の詩(詩の原石)=ピエロ が、いっしょうけんめいに、詩人に自分を伝えようとする。
「ぼくをうまく書きとめておくれ」という気持ちで。
原石は、自分の生みの親となる詩人を助けるために、必死に必死にメッセージを伝えようとするのだろう。でも、なかなか伝わらないときだってあるだろうな。
この、メッセージの送り手(詩の原石)と受け手(詩人)の間の、つらさ、さみしさ、もどかしさが表現されているのが、「幻影」という詩ではないのかな。
中也の「幻影」をはじめて読んだとき、そんなふうに、私は考えてしまったのです。
どうでしょうか、私のイメージが、あなたに伝わったでしょうか。
もし伝わらなかったら、書き手である私の責任ですから、気にしないでくださいね。
「アコーディオンっていいよね。弾き方知らないけどね」
さて、話を中也に戻しましょう。
のちの時代の人間に、自分の詩はどう読まれるだろうか。そのようなことを、中原中也が気にしていたかどうかは、私にはわかりません。
でも、どうでしょう、作品がいったん作者の手を離れてしまえば、それがどう読まれるかは、もう作者にはコントロールできません。
そんなことは、中也ほどの詩人であれば、じゅうぶんわかっていたんじゃないでしょうか。
そのような勝手な想像をしながら、私は私の読み方で中也の詩を愛し続けています。
どうかなぁ、中也が聞いたら、たぶん許してくれるんじゃないかな。
そうだったら、いいなぁ。