詩を紹介する理由
わたしが、みなさんに詩を紹介する理由。
それは、わたしが、たいやきを食べる理由や、コーヒーを飲む理由や、あの曲を聴きたい理由や、あの人の顔を見たい理由などと、きっと同じです。
ただ好きだから。
詩は素敵です。わたしは大好きです。でも、残念なことに、詩は、というよりも詩集はあまり多くの人に読まれることはないようです。
たとえば、宮沢賢治の名前はよく知られています。賢治の『雨二モマケズ』や、いくつかの詩や童話は、教科書に載ることがあるため、読んだことがある人は多いかもしれません。
とくに『注文の多い料理店』や『よだかの星』、あるいは『銀河鉄道の夜』などの童話には、みなさんきっと、どこかで出会ったことがあると思います。
あるいは『永訣の朝』という、ひどく悲しい詩も、ご存知かもしれません。
でも、『春と修羅』という賢治の詩集(心象スケッチ)はどうでしょうか。
その序文の、透明な美しさと正確さに心を打たれ、そこにおさめられた珠玉の作品群にふれる機会を持つこと―それはきっと、彼の童話との出会いにくらべたら、ひどく少ないと思うのです。
宮沢賢治ほど有名な人の「詩集」があまり読まれないのですから、ほかの詩人さんたちの詩集があまり読まれないのも、想像にかたくないと思います。
(ときどき、例外的に多く読まれる詩人さんが、ほんの少し現れますが……)
もちろん、すべての人が詩を好きになる必要はないと考えています。
でも、わたしは思うのですよ。
これまで詩と出会う機会が、たまたま少なかった方々に、あるいは、まだ年若い人たちに、詩が(詩集が)、どんなに素敵なものか、知っていただきたいと。
伝えたいのですよ。すてきな詩人さんたちが、今も過去も、たくさんいて、ずっとその言葉は輝きつづけているということを。
素敵な詩をみつけたら、わたしはつい、だれかに教えてしまいます。
だってほら、おいしいものを食べたらうれしくて、つい、だれかに教えたくなるでしょ?
こしあんより、つぶあんです。
宮沢賢治「電線工夫」の鑑賞
さて、というわけで、宮沢賢治さんのおちゃめな詩をご紹介します。
電線工夫(でんせんこうふ)
宮沢賢治
でんしんばしらの気まぐれ硝子(がらす)の修繕者
雲とあめとの下のあなたに忠告いたします
それではあんまりアラビアンナイト型です
からだをそんなに黒くかっきり鍵にまげ
外套(がいとう)の裾(すそ)もぬれてあやしく垂れ
ひどく手先を動かすでもないその修繕は
あんまりアラビアンナイト型です
あいつは悪魔のためにあの上に
つけられたのだと云(い)われたとき
どうあなたは弁解をするつもりです
詩集『春と修羅』より
※ふりがなと現代かなづかいを用いました。
宮沢賢治さん
宮沢賢治(みやざわ けんじ)
明治29年(1896)ー昭和8年(1933)
日本の詩人。童話作家。37歳没。
タイトル中の「工夫」は、前後の脈絡がなければ「くふう」とも読めますが、ここでは「こうふ」と読んで、「修理工事を行う人」のことだと考えてください。
雨の中で電線を修理してくれている業者さんのことをうたった、おちゃめな詩ですね。
雨が降っています。きっと、どんより薄暗い天候だったのでしょう。悪天候の中、あたりに人影もなく、なにやら、あやしい雰囲気です。
古来、悪魔は暗がりの中に現れ、好む色は黒と言われています。
そんな不吉な天候の中、工夫さんが電柱に登って、高いところで作業をしています。空は薄暗い灰色。工夫さんのシルエットは黒。そんな現場を賢治が通りかかったんでしょうかね。
そのとき、電柱の上に見える電線工夫さんの、黒い「く」の字型のシルエットが、賢治の心の中で、アラビアンナイトの世界のイメージと重なったのでしょう。
詩中の「悪魔のために」という表現が、「悪魔のせいで」なのか「悪魔だから」なのか、この詩からだけでは判断できませんが、それでも十分に賢治のユーモアが伝わってきます。
きっと賢治は、つぎのように考えたのではないでしょうか。
あの電線工夫さんは、まるで、アラビアンナイトのお話に出てくる、恐ろしい悪魔(イフリートという魔神)のために、あんな高いところに張り付けられてしまったみたいだ。いや、まったくあやしい。
もし誰かが、今のあなたの不吉な様子を見て、そのような、とんでもない誤解をしてしまったら……
そのときは、工夫さん、あなたはいったい、どういう言い訳をするつもりですか?
そんなあやしい姿で、あやしい動きをしているのだから、
「いえいえ、わたしは魔神とは何の関係もありませんよ。けっしてあやしい者ではございません」
と言ったところで、だれも信じてはくれませんよ。
賢治が思わずそう言ってしまいたくなるほど、その情景はまるで、アラビアンナイトの写し絵のようだったのでしょう。そう、あまりに「アラビアンナイト型」だった。
多くの魅力的な詩や童話を生み出した、その豊かな想像力の片鱗を、賢治がちらっと見せてくれたような…そんなすてきな、それでいてユーモアにあふれた作品ですね。
私の大好きな詩のひとつです。
宮沢賢治「報告」の鑑賞
こんな詩を書いてみたいものです。
報告 宮沢賢治
さっき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張って居ります
詩集『春と修羅』より
賢治さんは岩手県立花巻農学校の先生でした。
虹を見てさわぐ感性を持って、生徒たちを見ることができた人。
そういうひとに わたしもなりたい。
賢治の生涯 ― 農業、芸術、負けない人の死(予告編)
宮沢賢治の生涯は、ドリアン助川さんの「雨にも負けず」という、一編の長い詩の中に、見事にうたわれています。いずれ、この記事の後編としてご紹介したいと思います。今回は書かなかった、いや、書けなかった、賢治さんの姿を。
それでは、また。
以下は、このページの後編です。