ボルヘスの言葉「書物は人間の作り出したさまざまな道具類の中でも…」
書物は人間の作り出したさまざまな道具類の中でも、もっとも驚くべきものである。
他の道具はいずれも人間の体の一部が拡大延長されたものでしかない。
たとえば、望遠鏡や顕微鏡、これらは人間の眼が拡大されたものだし、電話は声が、鋤や剣は腕が延長されたものである。
それに比べると、書物は記憶と想像力が拡大延長されものであるという点で、他のものとはまったく性格を異にしている。
(バーナード・)ショーの『シーザーとクレオパトラ』の中に、アレクサンドリアの図書館は人類の記憶であるという一節が見えるが、これが書物なのである。
書物はそれだけに留まらず、想像力でもある。我々の過去は一連の夢でしかなく、夢を思い出すとは過去を思い出すことに他ならない。
そして、これが書物の果たす役割なのである。
『語るボルヘス』―「書物」より
これは、詩人であるボルヘスが、自らの講演の中で語ったことです。
このアルゼンチンの詩人の言葉は、あまりに美しく、あまりに正確であり、まるで上質のウイスキーのように、なにも加える必要はないし、なにも減らす必要はないと思われます。
この言葉に対しては、あえて詳細な解説を加えないことに致します。
(そもそも、その必要もないのですから。)
上質の言葉を、あなたにそのまま味わっていただきたい。
もし詩が音楽ならば、こんな音楽を聴く人と出会いたい。
もし詩が酒ならば、こんな酒を飲む大人と友人になりたい。
そんなふうに私は思うのです。
シーザー
シーザー(英語読み)
または、カエサル(ラテン語読み)
(紀元前100年 – 紀元前44年)
・古代ローマのたいへん著名な将軍、かつ政治家。
・とんでもない野心家。
クレオパトラ(7世)
クレオパトラ(7世)
(紀元前69年 – 紀元前30年)
・古代エジプト、プトレマイオス朝最後の女王。
・とんでもない美女。
アレクサンドリア
アレクサンドリア
・とんでもない大都市。
古代のアレクサンドリアは
世界の七不思議の一つに数えられる巨大なファロス島の大灯台(現カーイト・ベイの要塞)や、
各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、
文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えたアレクサンドリア図書館があり、
ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄えた。
「アレクサンドリア」(2018年2月11日 (日) 11:50 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』より引用) URL:https://ja.wikipedia.org
ボルヘスの言葉「古い書物を読むということは、…」
古い書物を読むということは、それが書かれた日から現在までに経過したすべての時間を読むようなものである。
『語るボルヘス』―「書物」より
ボルヘスさんの『ボルヘス、オラル』という講演集の中に、「不死性」という章があります。その中で、『パイドン』という書物のことが語られています。
この『パイドン』という本の著者である、プラトンさんは、古代ギリシアの哲学者です。
もし現在、ご存命であれば、およそ2400才くらいの人ですね。私なんかよりも、ずいぶん年上の人です。
プラトンさん
プラトンさんは『パイドン』の中で、霊魂の不滅(不死性)、そして魂の転生の問題を取り上げています。2400年前にです。
要点を簡潔に言うと、次のような感じですかね。
魂は不死です。生まれ変わりますから(定期的にハデス行っちゃうしね)。
だから、今の人生のことだけ考えてちゃだめなんですよ。
魂をみがいて、できるだけ善く、賢くなりましょうよ。
ということは、21世紀の現代でも、きっとどこかで誰かが言っているであろう、「生まれ変わっても、きみを……」、なんていう愛のセリフは、イエス・キリストが生まれる400年も前から、すでに存在していた!?
てな、ことになるんでしょうか…。そしてさらに……
疑問その1
『パイドン』が書かれた時代から、現代のこの瞬間まで、われわれ人類はこの愛のセリフを、いったい何回くりかえしてきたのでしょうか?
疑問その2
また人類はこんにちまで、哲学者や宗教家はもちろん、あらゆる考える人たちを筆頭に、魂の不滅や転生について、いったいどれだけ多くのことを考え、書き残してきたのでしょうか?
疑問その3
さらに私たちは各自、『パイドン』を読むことによって、インド哲学や、お釈迦様の話や、仏教の三世観や、ユーミンの『リインカーネーション』や、『転生したらスライムだった件』そのほかについて、実に多くのことを考えるのではないでしょうか?
『パイドン』を読んで、私たちがこのようにさまざまなことを考える、ということは、きっと私たちが「この2400年のあいだに経過した時間」に思いをはせている、ということじゃないかな…って私は思います。
すなわち、『パイドン』が書かれた日から、現在までに経過したすべての時間を、私たち人類は読んでいる。
このようなことを考えながら、私はいま、とても楽しんでおります。私の目の前にはいま、ボルヘスの本と、プラトンの本があり、付箋の貼られたページや、赤ペンでサイドラインを引かれたセンテンスがあります。
何度読み返しても楽しい。そんな本たちと出会えてよかった。ぜひ、あなたにも読んでいただきたい。
さて、夜も更けました。では、親愛なる読者のあなた、またお会いしましょう。